piyopiyo diary

幸せまで五十歩百歩。

想像を絶するギザギザ

昔読んだ本に載っていた、面白い関数の話です。
至るところ微分不可能な連続関数について。

↑という字面を見て逃げ出す人もいるかも知れないので、かなりいい加減に説明します。数式は嫌いという人も、もう少しだけ読んでみて下さい。(面白いと思うかどうかはわからないけど。) ちゃんとした定義と証明を知りたい人は、ネタ本、はぶっちぎりで絶版ですが、載っている解析学の本はけっこうあるでしょう。

まず連続関数とは。 要するに繋がってる関数のこと。プツッと切れた(=不連続な)点が無いような関数です。

次に、微分可能。 微分できる、というのは、傾きがちゃんと決まる、つまり接線が一本だけ引ける、ということで、要するに滑らかという意味。どこかでカクッと折れ曲がってるような関数、例えば y=|x| (xの絶対値)は、そのとんがってる点(x=0)で滑らかでありません。とんがってる部分があると、右から近付いたときと左から近付いた時に、接線の傾きが違ってしまいます。それ以外の点では、滑らか(微分可能)です。こういう関数は、微分不可能な点を持つ、と言います。


さて、世の中には「至るところ微分不可能な関数」なんてシロモノを考える人がいます。まず、ワイエルシュトラス(Weierstrass)という数学者が、1870年代に考えた関数。これは無限個の三角関数の和で定義される関数で、どんな点でも接線を引くことが出来ません。なのにちゃんと連続ってのが不思議。

それから、日本の数学者の高木貞治の考えた関数。こちらは数xの整数部分を取るような操作を使ってつくります。つまりxの小数点以下切捨て。これも、この操作をする関数を無限個足し合わせて作ります。

フラクタルで出てくるコッホ曲線も、至るところで微分不可能な関数の例です。


こんな変な関数も、例外としてはあってもいいでしょう。 ところが、ここからが当時の私がとても驚いたことです。

実はこんな関数は例外的でもなんでもなくて、一点ですら微分出来ない連続関数の方が、少なくともどこか一点で微分出来る連続関数よりも、はるかに沢山あるという。私の頭の中で想像できる連続関数は、ギザギザはしていても、とんがっていないところの方が多いのですが、そんな関数こそが少数派。ほとんどの連続関数は、絵にも描けないほどのギザギザっぷりらしい。無限が絡むと、いろいろ不思議なことが起こります。


昔読んだ本を引っくり返していたら、この話が載っている記事が出て来て、いろんな意味で懐かしくなったので書いてみました。長いこと数学が道具として身近にあるので、最近の感覚では、このこともそれほど驚きには感じなくなってしまいました。でも、今なんとなく当り前に思っていることの中にも、こんな例は紛れ込んでいるのかも知れません。