piyopiyo diary

幸せまで五十歩百歩。

神坂次郎 「元禄御畳奉行の日記」

中公新書, 1984
関ヶ原より百年、江戸文化の花開いた元禄時代に生きた、ある尾張藩士の日記に沿って、特に武士階級にとって、この時代はどういう時代だったのかを読み解いていきます。

日記の著者は、朝日文左衛門という尾張藩百石取りの藩士で、初め城代組本丸番を勤め、のちに御畳奉行に出世します。延宝二年(1674)に生まれ、18の時から45歳で亡くなる前年まで、体験したことや見聞したゴシップなどを細かく記した日記を書き続け、これを「鸚鵡籠中記」と題しました。この日記は尾張徳川家に250年間秘匿され、世に現れたのは昭和40年代とのこと。

文左衛門は、実に自然体で生きています。お役目を適当にこなしながら、酒と女と芝居をこよなく愛し、釣りや博打を楽しみ、ヒステリックな妻に悩まされつつも浮世の楽しみを満喫しています。お役目の旅行では接待の酒席や紅灯の世界に酔い痴れ、ついには酒が元の病で世を去ります。好奇心旺盛で、様々な武術(腕前は今一つのよう)や読書にも親しみました。この好奇心の発露たるゴシップ好きと記録マニアのおかげで、その頃の流行や世相がよくわかります。

元禄時代は文化の爛熟期。武士階級は、長く続く戦乱の無い世のために緊張感を無くし、経済の発展によって大商人が現れる一方で、餓えや貧窮に苦しむ下層の民衆もいました。政治的には悪名高い生類憐れみの令が発布された頃ですが、表向きはこれに従いつつも、尾張藩のあたりではかなり緩やかだったようです。また元禄と言えば思い出すのが「忠臣蔵」。討ち入りがあったのもこの頃ですが、文左衛門の日記からは特に大きな感銘を受けた様子はありません。芝居として流布してから、世間の注目を浴びたようです。この頃流行ったのが心中で、これは近松門左衛門の「曾根崎心中」の影響が大きいそうです。

こんな世の中じゃあっという間に滅んでしまいそうな気もするんですが、徳川の世はまだまだ続き、その間にも明治維新が起こるだけのポテンシャルが日本人に養われていきました。今の世の中も、文化の爛熟と精神の弛緩が甚だしいように思えるのですが、なんとかなるような気もちょっとして来ました。