piyopiyo diary

幸せまで五十歩百歩。

中川右介「カラヤンとフルトヴェングラー」

幻冬社新書, 2007年。
世界最高のオーケストラとして名高いベルリン・フィルに、そしてヨーロッパ音楽界に君臨した二人の指揮者、フルトヴェングラーカラヤン。彼らの紡ぎ出す美しい音楽とは対照的な、どろどろとした人間模様、時代に翻弄される音楽の現実が、生々しく語られます。

ナチスが政権に就いた1933年以降、ドイツの音楽家たちは決断を迫られました。ある者は亡命を選び、ある者はドイツに残り、残った人々にはナチスとの距離をどう取るかという問題が残りました。既にベルリンフィルの主席指揮者であり、ドイツを代表する音楽家でもあったフルトヴェングラーは、ユダヤ人を保護し、新しい音楽を支持することでナチスと対立しつつも、ドイツ音楽の広告塔として利用されていきました。一方、若く野心に満ちたカラヤンも、自らの出世を求める途上で、またフルトヴェングラーの対抗馬として利用されることで、政治に巻き込まれていきます。そしてこのことが、22才も年下のカラヤンに対する、フルトヴェングラーの激しい嫉妬に繋がりました。

そして、敗戦を迎えるドイツ。非ナチ化が済むまで演奏のできない彼らの代わりに、敗戦直後のベルリンフィルの苦境を救ったのは、チェリビダッケというルーマニア出身の青年でした。しかし厳格すぎる彼の態度はやがて、オーケストラとの間に摩擦を増していき、初めは蜜月関係だったフルトヴェングラーとの間にも、微妙な不協和音が響き始めます。一方、なかなか思うような活動ができないカラヤンも、一歩づつ地歩を固めながら躍進の機会を窺っていました。

1954年、フルトヴェングラーは世を去ります。その後、なぜチェリビダッケでなくカラヤンが、ベルリンフィルを手に入れたのか。さまざまな駆け引きと思惑が錯綜する当時の状況を解きほぐしていくあたりが、この本のクライマックスです。

音楽の評価は主観的で、時に感情的になりがちですが、この本では彼らの奏でた音楽には踏み込まず、その人間ドラマの部分にのみ光を当てます。筆致はあくまでも冷静で、資料にあたった「事実」の部分と、彼らがどう考えたかなどについての推測による部分を明確に分けた記述です。