piyopiyo diary

幸せまで五十歩百歩。

中川右介「カラヤン帝国興亡史」

幻冬社新書, 2008年。
カラヤンフルトヴェングラー」の続編にあたる時代を扱っています。フルトヴェングラー亡きあと、ベルリン・フィルを手中に収めたカラヤンは、ウィーン国立歌劇場ザルツブルク音楽祭をもその手に握ることに成功。更にいくつもの歌劇場やオーケストラを掌握し、ヨーロッパ音楽会に「帝国」を作り上げました。

自らの処理能力を超える数の歌劇場やオーケストラを、支配下に置こうとしたのはなぜか。 録音という新しい技術を最大限利用し、クラシック音楽を大衆化したこと。音楽祭を創始してまでも、最高のオペラを上演することを求めたこと。「全て」を初めから手に入れ、その権力を維持してゆくテクニック。クラシックを民主化した、といいながら、ヨーロッパ音楽会に帝国を築いたという逆説。一体何が、カラヤンを突き動かしていたのでしょうか。

やがて帝国の歯車も、少しづつきしみ始めます。アメリカからやってきた、まったくタイプの違うライバル、バーンスタイン。 企画した指揮者コンクールも成功とは言えず、人事問題を起点として、ベルリンフィルとの間にも隙間風が吹き始めます。 発展し続ける音楽との間に少しづつ拡がっていく隙間と、渇れてゆく創作意欲。 ベルリンの壁が崩れる4ヶ月前、ソニーの大賀社長らとの商談中に苦しみ出したカラヤンは、最後はフリーの指揮者として、81歳の生涯を閉じました。

好むと好まざるとを限らず、20世紀の音楽界に最も影響を与えたカラヤンという音楽家は、どういう存在であったのか。その足取りを追い、彼が成したこと、成したかったことを考え直してみることが必要な時期なのかも知れません。 クラシック音楽の危機が囁かれ、また情報の伝わり方が大きく変わりつつある、今の時代だからこそ。